執筆者:ダグラス・アペル
アジア太平洋地域のアセットオーナーやアナリストは、今年のインフレ率の上昇を一時的と見ている。一方ゲートキーパーは、資産配分の意思決定は、インフレがより長期的となる可能性を考慮してなされるべきであると警告している。
確実と言うにはほど遠いが、「中期的にはインフレリスクが高まると明確に認識しており、顧客にもそれに備えたポジションを検討するよう助言している」と香港を拠点とするウイリス・タワーズワトソンでリサーチ・チームのアソシエイトディレクターを務めるアンドリュー・ズラウスキ氏は述べている。
昨年のパンデミックに対する前例のない金融財政対応を受けて、各国中央銀行がインフレ圧力の抑制に後れを取る可能性は「我々が安易に見くびってはならないリスク」であると、マーサー・インベストメンツで日本における伝統資産運用の責任者であるキャメロン・シスターマンス氏は述べた。
そして、もし今年、インフレが世界中で高進するのであれば、米国の数値が最重要となろう。年初に大規模な財政刺激策法案が議会を通過し、また連邦準備制度理事会(FRB)が「ある程度の期間インフレ率が目標を上回ることを容認する」ことが明らかとなったので、「確かに(インフレが)米国における最大のリスクだとみている」とズラウスキ氏は述べた。
「それが、新型コロナウイルス以前の『いや、我々はデフレ環境下にいる』から『インフレリスクを考える必要があり、リスクヘッジとなる資産クラスはこのような資産だ』へと、我々が見方を変えた理由だ」と同氏は付け加えた。
同地域の多くのアセットオーナーは、ロックダウンが今年中に終結して消費の波が起こり、商品価格を一時的に昨年のパンデミックで落ち込んだ水準からかなり押し上げるとみられることから、インフレ率の上昇は短期的と予想している。
第2四半期には、米消費者物価指数ならびに生産者物価指数は前年比4%上昇する可能性があるが、上昇は極めて一時的にとどまり、来年初めには2%前後のより正常な水準に戻るとみられる、と運用資産15.5兆ウォン(137億米ドル)を擁するソウルの公務員共済組合(POBA)で最高投資責任者を務めるドン・フン・チャン氏は述べた。
しかし、過去1年にわたり、金融ならびに財政政策が未知の領域にあったことから、業界情報筋の中には失策の余地を見る向きもある。
FRBは待ちの姿勢
過去であればFRBは、インフレを予測すれば金利を引き上げたであろう。しかし今では、目標未達の時期を補うべく、インフレ率が目標を上回る期間を進んで許容するようになっており、他方で幅広いソーシャル・グループが更なる成長によって確実に恩恵を受ける等、新たな利上げの条件を加えているとシスターマンス氏は指摘した。
「すべての(利上げの)前提条件が満たされるまでにインフレ率は2%を大きく超え、結果として(FRBによる)コントロールが失われるリスクがある」と同氏は述べている。
短期的に見ても、40年にわたって米国で1~2%のインフレ率しか見てこなかった投資家にとって、急上昇するインフレ率が破壊的なものとなる可能性があり、数十年におよぶ資産クラス間の関係をも潜在的に変えてしまう恐れがあると、マーサーのシスターマンス氏は付け加えた。
アナリストによれば、力強い世界経済にけん引されたインフレ環境では、株式、インフラ、不動産およびコモディティのすべてが、機関投資家のポートフォリオに何らかのプロテクションの役割を果たすだろう。一方、国債への配分は引き続き、こうした資産セグメントへシフトする上での原資になるとみられる。
ウイリス・タワーズワトソンは、ポートフォリオの一部をインフラや不動産を含む実物資産に「方向転換」し、「インフレへ敏感に反応し、投資妙味があり持続可能なキャッシュフロー(実質的にはインカム)を獲得している」と、同社の香港を拠点に投資担当シニアディレクター兼助言ポートフォリオ・グループ、アジア担当責任者を務めるポール・コルウェル氏は述べた。
POBAのチャン氏によれば、短期的なインフレ率の上昇であっても、同氏のチームはプライベート・デットを含む変動金利エクスポージャーを増やす投資機会をすでに探し求めている。一方、不動産とインフラへの配分を引き続き増やしている。
チャン氏によれば、2020年末時点で、同氏のポートフォリオの61.1%はオルタナティブ資産に配分されており、前年末の54.6%から上昇している。不動産およびインフラへの資産配分は非開示とされた。債券は前年の10.6%から低下し、僅か6.2%にとどまった。
その他の分野では、アナリストによれば、通貨ヘッジがより重要な役割を担うだろう。米国市場が世界的なインフレ圧力の震源地となる役割を果たし、中国を含むその他市場において物価が比較的安定していることを反映し、米ドルに対して下落圧力が掛かるためである。
一方、物価上昇はすべての国や市場に一律に影響する訳ではない。
国内にフォーカスする
インフレはグローバルというよりは国毎の現象であり、香港、豪州、米国、欧州それぞれのアセットオーナーにとって、資産配分や国内状況への影響はかなり異なる可能性があると、コルウェル氏は指摘する。
例えば、グロース資産やリスク資産に65%以上の配分をしているオーストラリアのスーパーアニュエーションは、国債への配分がより多い米国や欧州の機関投資家よりも、インフレ圧力の上昇に対処するには有利なスタート位置にいるだろうと、メルボルンに拠点を置くフロンティア・アドバイザーズのプリンシパルコンサルタント、フィリップ・ネイラー氏は言う。
ブリスベンを本拠とする運用資産130億豪ドル($101億ドル)のLGIAスーパー(オーストラリアの公的退職年金基金)の投資責任者トロイ・リークは、同基金では現在のインフレ見通しを理由とした戦略の変更はないと語る。同氏のチームの予想によると、今後12~18ヶ月ではインフレ率が(場合によってはかなり)上昇するが、長期的に手に負えなくなるようなものではないと、リーク氏は言う。
一方、国債利回りが最低水準まで急落したことを受けて、世界中のアセットオーナーは、インフレ期待が悪化すれば最も大きな損失を被るこの資産クラスのエクスポージャーを、継続的に削減している。
運用資産541億NZドル(387億ドル)のニュージーランド退職年金基金(New Zealand Super Fund)は、基準ポートフォリオの配分目標がグローバル株式80%、グローバル債券20%であるため、インフレの上昇を上回る力強い成長をみせる同国経済の恩恵を受ける上で良い位置につけていると、オークランドを本拠とする同ファンドのチーフ・エコノミスト、マイケル・フリス氏は指摘する。
また、オーバーレイ戦略を利用して、ファンド自体の推定公正価値を下回る幅広い資産セグメントを購入し、また過大評価されている資産を売却する同ファンドの戦略的ティルトプログラムは、しばらく前から国債をアンダーウエートしていると同氏は語る。同ファンドの年次報告書(2020年6月30日末期)によれば、債券への資産配分はわずか7%だった。
リーク氏は、「政策金利や債券利回りが非常に低く、当面は同じ状況が続く可能性が高いため、LGIAスーパーはさまざまな形態のデットやクレジット、インフラや不動産資産を含め、持続可能なインカム収入源となるオルタナティブ資産に方向転換を行ってきた」と述べた。
「インフレスワップなどインフレリスクに対する直接的なヘッジ手段は、過去5年間の価格と比べて割高となっているので、長期的なインフレリスクに対処するためより優れた方法として、デュレーションリスクが低い資産(例えば、変動金利のクレジット)またはキャッシュフローが増加する資産(例えばインフラ)を探したいと考えている」と同氏は付け加えた。
抑制された対応
一方、急速な高齢化により、この数十年間世界的なデフレトレンドの最前線に立っている日本では、インフレの急上昇に備える対応策が最も少なかった。
パンデミックによって世界中で経済活動が停止し始めた2020年2月の時点では、前年同月比で0.6%上昇していた日本の消費者物価指数(CPI)が、2021年1月には前年同月比で0.6%下落した。
マーサーは同地域のクライアントに対し、インフレ圧力に対する抵抗力を強化するため、ポートフォリオの見直しを奨励してきた。しかし、日本の人口動態の動向は他の先進国の10~20年先を進んでおり、物価水準が持続的に上昇するとの見方について現地ではかなり懐疑的であると、シスターマンス氏は言う。
東京を本拠とするラッセル・インベストメントの喜多幸之助コンサルティング部長は、インフレが復活することを日本人は心配していない、あるいはおそらく「想像できない」と語った。
しかし、ラッセルの日本顧客は現在、為替ヘッジ付グローバル債券に平均25.8%と、国内債券11.5%の2倍を超えた資産配分をしており、米国のインフレ率が上昇すれば、ポートフォリオ価値の大幅な下落に直面することになると、同氏は指摘する。
ニュージーランド退職年金基金のフリス氏は、インフレ圧力が手に負えなくなる可能性は「間違いなく誰もが警戒を続けていくリスク」だが、より興味深いのは、こうしたあらゆる景気刺激策にもかかわらず「インフレが起きなければ、どうなるのか」だと言う。
そうなれば、経済学者は、起きていることを全く説明しなくなったモデルを見直す必要に迫られるだろうと、同氏は言う。
「ほとんどの投資家が、こうした構造的な変化が命取りになり、やられてしまう」。これらは、マイクロソフトやフェイスブックが今やわれわれの経済の要になっているといった事実のように、後に振り返って初めてわかることであると、フリス氏は言う。