執筆者:ソフィー・ベイカー
先進国の経済を下支えするために、近年山のように積み上がったソブリン債務を政府と中央銀行は単純に帳消しにすべきという論争に、世界中の債券投資業界の幹部が加わってきている。
これは債券投資の業界幹部が常々考えている話題である。というのは、新型コロナウイルスのパンデミックによる経済への影響を抑制する主要な手段として、先進国の中央銀行は莫大な量の通貨を市場に供給し、また何兆ドルにものぼる財政支出が行なわれているからだ。
選択肢そのものは明らかだ。償却するか返済するしかない。しかし、複数の業界情報筋によれば、これらの選択肢のうちのどちらかに至る道のりはそれほど明らかではない。
政府および中央銀行の選択肢に債務の帳消しが含まれるべきだと考える者もいる。
たとえば、ロンドンを拠点とするブルーベイ・アセット・マネジメントLLPのマーク・ダウディング最高投資責任者(CIO)は「これがなぜ重要かと言うと、皆何もしないで『何てことだ、パンデミックは続いており政府はあらゆるところにお金をばらまいているが、そのツケは今後何年もかけてわれわれがより高い税金で払うことになる』と言っているからだ」と語る。
この債務を返済するには増税が必要だというのが一般的な見識かもしれないが、「返済の必要はないというのが私の主張だ。本質的には、その債務は中央銀行が購入してバランスシートに載っており、そのまま永久に載せておくことが可能だ。債券市場では、中央銀行が市場に払い戻すことを期待してはいない。本質的には、ほぼ会計上の等式のようなものになる。自身に対する債務があっても、それは問題ではない。(政府は)その債務をほぼ忘れる事ができるか、または表面上帳消しにすることができるからだ」と同氏は主張する。
たとえば、イングランド銀行は同行が保有する全ての英国債を、満期1万年のゼロ・クーポン債に切り替えることができる。「その気になれば可能だ。理解しておくべきは、債務残高の対GDP比率に対しては何もしなくてよいということだ。国民に(2010〜2020年に経験した)緊縮財政による失われた10年を再び強いる必要はない」と同氏は語った。
債務残高の対GDP比率
政府と中央銀行の行動は決して不適切なものではない、と複数の業界情報筋は指摘する。しかし、国際通貨基金(IMF)の数値は各国債務の対GDP比率が急速に上昇していることを示している。米国の総債務残高の対GDP比率は2020年末に131%(2010年は95%)に達し、英国の同比率は108%で、2010年の約75%から上昇している。
ユーロ圏の政府総債務残高の対GDP比率は、ユーロスタットの入手可能な最新統計によると、2020年9月30日現在でほぼ90%(2010年末は80%弱)に達している。業界情報筋によれば、足元では100%近辺で推移していると推定される。
ロサンゼルスのTCWグループ(2020年12月31日現在の運用資産2,480億ドル)のタッド・リベル債券投資CIOは「米国では何兆ドルものお金が、それも極めて気軽にばらまかれているが、米国政府の財政赤字の規模や連邦準備制度のバランスシートの極端な拡大に対する懸念の声は全くなかった」と指摘する。
フォントベル・アセット・マネジメントAGを含む一部の資産運用会社では、当面の間、債務の帳消しが現実的なシナリオになるとは考えていない。ロンドンおよびチューリッヒを拠点とする同社債券部門の責任者サイモン・リューフォン氏は、中央銀行のバランスシート上に積み上がったソブリン債務を帳消しにすべきかどうかというのは、「極めて興味深い議論だ。ある意味、その議論は理解できるし、良いと思う。誰も損をしないともいえる。しかし、資金はまだダブついたままであり、インフレ、クラウディングアウト、そして中央銀行の独立性に関するさまざまな疑問を呼び起こすことになるだろう」と語る。
1990年代にイングランド銀行が政府からの独立性を獲得し、国債利回りが劇的に低下したときのことをリューフォン氏は覚えており「中央銀行の独立性は素晴らしいことで、市場も見返りを得ている」と述べる。
興味深いことに、これまでの各国政府による増え続ける市場介入や経済政策が利回りへの逆効果をもたらすことはなかった。中央銀行の独立性に「投資家がリスクプレミアムを求めないことで、我々は新世界にいると言えるのかもしれない。」とルーフォン氏は付け加えた。
債務削減
累積ソブリン債務を削減あるいは一掃する上でのもう一つの選択肢は、債務の不履行なのかも知れない。しかしながら、新興市場で最後の手段として債務の不履行がなされるような、ある意味でのわがままが先進諸国には許されていない。
「明示的なタイプのソブリン・デフォルトの概念に関わるため、先進国において債務不履行は埒外だと思われる」とリベル氏は述べた。「そういった手段を真剣に熟考する人間がいると考える理由も根拠もない。特にユーロ圏では銀行制度を本質的に破壊してしまうことになるため、あり得ないだろう。」
債務不履行は、主権国家の将来にわたる借入コストを引き上げることにもなるだろう。
インフレを促進することも累積債務を削減する方法だと、業界情報筋は指摘する。そうすることは「ゆっくりと時間をかけた一部債務不履行のようなもので、債務負担を下げる一つの方法だ」とTCWのリベル氏は指摘した。
実際のところ、インフレは政治家が増税するかどうかよりもっと「意味深長な懸念」だ、とリベル氏は付け加えた。「資本市場は、インフレ上昇の可能性が高まっていることを織り込み始めている」。
同氏によれば、米国物価連動国債(TIPS)を例に挙げると、市場はインフレ率が2~3年以内に3%以上となる確率を20~25%と見ている。
債務帳消しもインフレを誘発しうるため、債券に多額の投資を行っている年金基金にとっては問題だ、とリーガル&ジェネラル・インベストメント・マネジメント社(LGIM)でグローバル債券の共同責任者を務めるロンドン在住のコリン・リーディー氏は述べた。「未確定要素が余りにも多く、何らかの確信をもってこの問題を予測することは難しい。緊縮経済は間違いなく緩和されており、成長期待は打撃を受け、市場は調整する可能性が高いが、これは以前にも経験したことだ。大きく違っていることは、債務帳消しが可能性として浮上している点である」とリーディー氏は付け加えた。
最終的に、債務帳消しについての運用会社幹部間の内部議論は膠着状態に至る。各国政府や中央銀行にとって正しい判断か否かはともかく、債務帳消しは先進諸国ではすぐには起こりそうにない、ということになるのだ。
「率直に言って、各国中央銀行が最終手段を実行し、債務帳消しに踏み切るとは思わないが、イングランド銀行が英国債の証書をすべてかき集めて、(ロンドン中心部の)エクスチェンジ・スクエアで大きな焚火をたくのを見るのは楽しいだろう」とブルーベイのダウディング氏は述べた。「とはいえ、各国中央銀行が自国のバランスシートが永遠に拡大することをしぶしぶ認める事態を目にするかも知れない」。
しかし、現在は政府債務の水準について話し合い、一段と上昇した債務の対GDP比率が増税の必要性につながらないことを理解すべき時期だろう、とダウディング氏は付け加えた。
LGIMのリーディー氏は、債務帳消しの可能性が低いことに同意し、「各国政府は本当に完済する必要があるのか? 政府の力はかなり強力で、したいことはほとんど何でも出来る。昨年その全盛をわれわれは目にしているので、今では完済の必要があるという素振りを見せなくなりつつある。」と述べた。
インサイト・インベストメントの幹部も、中央銀行が金利を抑制すべく証券の買い入れを続けているので、債務が今すぐ帳消しされるとは見ていない、とロンドンにおけるグローバル金利とマクロリサーチの責任者であるギャレス・コールスミス氏は述べた。「金融政策が政策手段として限界に達し、先進諸国はわれわれが新財政主義(neofiscalism)とも呼ぶ時代に入った、と確信している。そこでは、政府は構造的なデフレ圧力に対抗すべく極めて拡張的な財政政策を実行する一方で、中央銀行はこの財政拡大を継続可能とするために金融に対する抑圧を実施する。」とコールスミス氏は付け加えた。
また、フォントベルのルーフォン氏が指摘した通り、低金利が今後何年も続くことが見込まれる中で、経済を支えるために中央銀行と政府が決めていることに対する信任を壊してまでリスクを冒せるだろうか?
「(債務帳消しが)上手く行かないと言っているのではないが、一番抵抗が少ない方法は何もしないことだろう。すなわち、債務の累積が続き、その水準が上昇し続けるのに任せ、『冷静に、戦い続けよ』と言う著名な言い回しを使うことだ」と同氏は述べた。